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「鎌倉殿の13人」北条義時とはどんな人なのか?源頼朝の側近から第2代執権を務めるまで

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北条義時とは、どんな武将だったのか?

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、北条義時を小栗旬さんが演じるので楽しみですね。

北条義時が伊豆豪族から源頼朝の側近として支えながら、鎌倉幕府の実権を握るようになるまでの功績をわかりやすく解説しきましょう。

北条義時が生まれた時

北条義時は、1163年、伊豆豪族であった父・北条時政の次男として生まれます。

当時は、政治の実権が公家から武家へと移り変わろうとした時代で、平治の乱では、皇室・摂関家の争いに源氏と平家が争い、源氏が負け、頼朝は伊豆へ流されました

北条家は、伊豆蛭ケ島(いずひるがしま)で流人の源頼朝の監視役を命じられたのですが、これが、源氏と北条家の始まりと言われいるようです。

義時が15〜6歳の頃、姉・北条政子と源頼朝が結婚します。

義時と頼朝の年の差は、16歳ですから、義時が物心ついた頃には、すでに源頼朝の存在はあったのではないでしょうか。

源頼朝の挙兵

1180年、石橋山の戦いで、源頼朝は、以仁王からの命令を受け、平家を倒すため挙兵します。

義時17歳の時、源頼朝につき、父・北条時政、兄・北条宗時と共に戦場へ向かいます。

石橋山の戦いでは、源頼朝が負け、兄・北条宗時が戦死してしまい、その後、義時が飛躍していくことになります。

石橋山の戦いで、兄が戦死しなければ、義時の人生も変わっていたのかもしれないですね。

義時は、頼朝の寝所を警護するようになり、側近として支えていきます。

平家追討の壇ノ浦の戦い源義経との奥州合戦にも参加し、頼朝からの信頼を得て、

「他日必ず子孫の補佐たらん」
「義時を以って家臣の最となす」

と、「いつか必ず私の子孫の補佐になるであろう」「義時こそが家臣の見本だ」という内容の言葉を残しています。

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13人の合議制

源頼朝が征夷大将軍となり鎌倉幕府を開き、戦乱の世が終わるかと思った矢先、頼朝が急死してしまいます。

頼朝の死後、頼朝の子供、源頼家(みなもとのよりいえ)が二代将軍となりますが、頼朝が若く独裁政治を防ぐために「13人合議制」を発足。

13人の合議制は、将軍・頼家の独裁を禁じ、13人の有力な御家人たちにより決めていくようになったのですが、13人の中に、北条時政・義時親子が入っていて、鎌倉幕府での北条家の権力を強めていったんですね。

頼家が病気になったのをきっかけに、頼朝と縁の深かった比企一族を滅し、頼家の子供も殺害し、頼家も北条家により追放され殺害してしまいます。

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北条時政と親子の対立

北条氏が、比企氏以外の有力御家人たちの排除を続け、時政と義時の親子が対立することがやってきてしまいます。

時政が三代将軍・源実朝を殺害しようとした際、義時は実朝側につき、時政を失脚させ追放したそうです。

義時は、父・時政が就いていた政所別当と和田義盛を滅ぼし侍所別当も兼ねるようになり、執権としての地位を得て、姉・北条政子とともに幕府での地位を強めていきます。

承久の乱

源氏が三代で終わってしまった後、京都から藤原頼経を将軍として迎えますが、2歳の将軍だったため、実権は北条政子と義時が行っていたようです。

幕府が混乱し、北条家の力が大きくなっていると、後鳥羽上皇が義時追討の命令を武将にかけますが、北条政子による演説により、鎌倉幕府の武士たちを説得、武士たちと協力して後鳥羽上皇を倒し、3人の上皇を島流しにしました。

【北条政子の演説内容】

「頼朝殿が多くの敵を征伐し幕府を創設して以後、地位も給料も良くなったでしょう。

その恩は、まことに山よりも高く、海よりも深いものである。

武士として暮らす以前はどうでしたか?

以前は、長いこと都に仕えても、屈辱を味わってはおりませんか?

この世に変えたのは、頼朝殿です。恩を忘れてはなりません。

名声を汚すまいと思う者は、はやく京を討ちとり、三代将軍の遺跡を守らなければならない。

ただし、院に味方したいと望む者はただちに申し出よ」

北条政子の演説は、鎌倉幕府・武士たちを守るためのものだったんですよね。

執権政治を確立

承久の乱で、初めて朝廷を敵に北条氏が勝利したことにより、天皇を交代させ、権力は弱くなり、公家政治に介入していくようになります。

公家社会と武家社会は、別々のものでしたが、鎌倉幕府が公家政治にも介入するようになり統治し、義時は執権という立場で幕府内の最高権力者のの地位が確立しました。

新たに展開された執権政治により、全国的政権として鎌倉幕府は続いていき、江戸時代が終わるまで武士の時代となっていったんですね。

承久の乱が終わった3年後に執権政治を作り上げた北条義時は亡くなったそうです。

まとめ

義時は、伊豆豪族から武家の頂点まで成り上がった人物です。

頼朝に仕え、「他日必ず子孫の補佐たらん」頼朝に信頼されていた義時ですが、頼朝が亡くなった後、頼家・実朝を滅ぼし、父・時政とも対立していき、最高権力の地位を確立していきましたね。

ひどいこともたくさんしてきたと思いますが、鎌倉幕府を作った頼朝に仕え、鎌倉幕府守り、執権政治を作り上げた功績を、「鎌倉殿の13人」ではどのように描くのか、とても楽しみです。

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