「鎌倉殿の13人」で、歌舞伎役者の坂東彌十郎が演じる北条時政とはどんな人なのか?
北条政子・北条義時の父であり、源頼朝の義父、牧の方の夫として知られている北条時政が、鎌倉幕府とどのように関わり、どんな影響をもたらしたのか、生涯について調べてみようと思います。
北条時政が伊豆豪族だった時代
北条時政の前半生については、明らかになっていることは多くないようですね。
平治の乱で伊豆へ流された源頼朝の監視役を任されたことから、名を知られるようになったようです。
北条時政の継室(後妻)の牧の方の父である牧宗親が平清盛の異母兄弟の平頼盛の家来だったという縁で、源頼朝の監視役に選ばれたとか。
北条時政の継室(後妻)・牧の方とは、親子ほどの年の差があったとも言われていて、ベタ惚れだったようですよ。
やがて、娘・北条政子は、流人である頼朝が結婚することになったのですが、最初は、平家に知られてはいけないと大反対だったようです。
北条政子は、駆け落ち同然で結婚することとなり、頼朝との間に娘・大姫が誕生したこともあり、北条時政は、2人の結婚を認めたようですね。
北条時政が挙兵した時代
石橋山の戦い
源頼朝と手を結ぶことを決意し、北条時政は、嫡男の北条宗時と共に挙兵します。
この時、源氏軍は300騎、平氏方3000騎と大差だったこともあり大敗し、嫡男の北条宗時が討死にしたそうです。
富士川の戦い
石橋山の戦いで敗れた源頼朝軍でしたが、体勢を立て直し、勢力を取り戻し、鎌倉入りを果たします。
それを知った平清盛が、平維盛(たいらのこれもり)を総大将とする討伐軍の派遣を決断し軍勢を整えたのですが、これに時間がかかってしまって、1ヶ月もかかったんだそうですよ。
高圧的に命じられた兵士たちの平氏軍と信頼関係で強く結びついた源氏軍では、平氏の士気差が躊躇に現れた形となっていたようです。
平氏と源氏はほとんど交戦しないまま、平氏側の大庭景親が降伏、伊東祐親は捕縛されたのち自害しました。
【富士川の戦いでの逸話】
平氏軍が一斉に飛び立つ水鳥の群に驚いて大混乱に陥った
源平合戦と呼ばれる富士川の戦いで、源氏への流れに変わる大きな転機となったようですね。
京都守護としての活躍
平氏滅亡後、源義経との間に対立するようになります。
北条時政は、頼朝の命を受けて京へ入り、後白河法皇に頼朝の要求する「守護・地頭の設置」を認めさせたそうです。
【守護・地頭の設置とは?】
守護は、一国を支配する役割を担い、その下に置く地頭は、軍や郷を支配し、守護・地頭は年貢を調整する権限を持っていました
守護・地頭の設置は、力のある御家人が任命され、源頼朝はこの制度により、全国支配できるようになっていくようです。
北条時政は、京で、平氏の残党の捜索や源義経失脚後の混乱の治安維持、朝廷との交渉などの職務をして「京都守護」と呼ばれるようになり、高い評価を得ていたんだとか。
時政の在任期間は4ヶ月と短かったようで、鎌倉へ戻り、京都での活躍が嘘のように、表立った活動は見られなくなったそうです。
1192年に、源頼朝は、後鳥羽天皇より征夷大将軍を任命され鎌倉幕府を開きます。
鎌倉幕府・初代執権
頼朝の亡き後、二代将軍・源頼家となるが、若かったため、御家人たちによる「13人の合議制」が設立された。
これが、「鎌倉殿の13人」ですね。
13人の合議制といっても、お互いの駆け引きが始まり、失脚していき、13人の合議制も解体していきます。
頼家の側室・若狭局(わかさのつぼね)の父である比企能員率いる比企氏と北条氏は対立することとなります。
源頼家が病気をすることで、北条氏が比企一族を滅亡し、さらに頼家を伊豆へ追放し、三代将軍・源実朝に擁立します。
三代将軍・源実朝は12歳という若さだったため、北条時政が幕府の実権を握っていくようになり、初代執権となり、幕政を統轄していったようです。
北条時政の失脚
畠山重忠の乱
源実朝の正室・坊門信子(ぼうもんのぶこ)を迎えるために、京へ迎えに行った、北条時政と牧の方の子・北条政範(ほうじょうまさのり)と娘婿の平賀朝雅(ひらがともまさ)。
北条政範は、病にかかり16歳という若さで急死してしまいます。
娘婿の平賀朝雅は、京での歓迎の宴の席で、畠山重忠の嫡男・畠山重保(はたけやましげやす)と口論となってしまったそうです。
息子の死と娘婿の喧嘩を同時に聞いた牧の方は、畠山重忠と畠山重保の父子が謀反を起こすことが原因で喧嘩となったと、時政に訴えたとか。
北条義時や北条政子は、忠義に厚い畠山重忠が謀反を起こすはずないと反対したようですが、元々、畠山重忠をよく思っていない時政は、牧の方にも押し切られる形で畠山重忠討伐したそうです。
北条時政の失脚
謀反人の企てありとされた畠山重忠の乱をきっかけに、北条時政は、幕府内で影響力を失い、挽回するために、牧の方と共謀し、三代将軍・源実朝を殺害し、娘婿である平賀朝雅を新将軍にしようと企てたようです。
さすがに反感を持った、北条義時と北条政子。
北条時政の御家人たちも、大半が義時の味方となったようで、北条時政は執権職を剥奪され失脚していきます。
鎌倉から追放され、伊豆国へ流され、牧の方とは別れたようですね。
牧の方とは、とても仲の良い夫婦だったようですが、プライドの高い牧の方には、あっさり見限られてしまったようです。
北条時政役:坂東彌十郎さん
生年月日:1956年5月10日
出身地:東京都
歌舞伎役者・大河ドラマは初出演
/#北条時政(ほうじょう・ときまさ)#坂東彌十郎
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義時の父。愛すべき平凡な田舎侍。家族思いで武芸にも長け、いざというときには頼りになる。後妻・りくと二人三脚で、天下取りの大勝負に挑む。#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/PJIjyvw2Mq— 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) December 6, 2021
歌舞伎役者の坂東彌十郎さんが、どのような北条時政を演じられるのか、とても楽しみですね。
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まとめ
北条時政は、権力欲に溺れた人物として、鎌倉を舞台とする歌舞伎などでは、悪役として登場することが多いんですよね。
伊豆豪族から、鎌倉の執権まで成り上がる実力があったのに、最後、多くの人から信頼されていた畠山重忠に罪をかぶせ討ち取ってしまったことで、悪人だと言われてしまったんです。
子供たちに恵まれ、若いきれいな妻にもベタ惚れだったと言われ、環境に恵まれたにもかかわらず、最後はとても寂しい人生だったように思います。
悪人というわれることの多い北条時政ですが、「鎌倉殿の13人」では、どのように描かれるのか、とても楽しみですね。




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