「カムカムエヴリバディ」で雉真繊維といえば、岡山で有名な繊維会社ですが、モデルになっている会社があるのか?調べてみたいと思います。
雉真繊維は、カムカムエヴリバディで第一世代の安子が嫁いだ雉真稔の実家。
第二世代のるいが生まれ育ったのも岡山の雉真家。
雉真繊維は、物語の中でも戦前から戦争を経て大きくなった会社ですよね。
雉真繊維に関わる会社や人物などまとめてみました。
「カムカムエヴリバディ」の岡山の雉真繊維とは?
第1世代・安子の義父・雉真千吉(段田安則)が一代で立ち上げた岡山の繊維会社。
足袋の生産から始まる
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丈夫な作りの学生服
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戦時中には、軍服作りを生産するようになる
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戦争により工場は被災するも、戦後に焼け残った工場で足袋と学生服の生産を再開
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戦後、次男・雉真勇が野球部を発足し、ユニホームも手がけていく
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二代目の雉真勇が雉真繊維を継ぎ、「カムカムエヴリバディ」第2世代・ひなた編では、ハリウッド映画「サムライ・ベースボール」で足袋がクローズアップされ、職人技の雉真繊維の足袋がアメリカへも進出していきます。
雉真繊維のモデル企業はどこなのか?
全国学生服の8割を占めている岡山県。
【学生服の大手三大メーカー】
- トンボ(トンボ学生服)
- 菅公学生服(カンコー学生服)
- 明石スクールユニフォームカンパニー=明石SUC(富士ヨット学生服)
岡山発祥の三大メーカーが雉真繊維のモデルとなっているのではないでしょうか?
トンボ学生服
1876年(明治9年)に現在の岡山県玉野市で足袋作りを開始。
その後、工業化・量産化により「キラクたび」の足袋ブランドを確立する。
1930年(昭和5年)より学生服の製造を開始し、制服ブランド「トンボ学生服」として業績を拡大していく。
戦時中には、軍服の製造をしていたようです。
1970年代以降、スポーツウェアなどの分野へも業務拡大する。
1974年に岡山市に本社を移転し現在に至る。
トンボ学生服の歴史を確認すると雉真繊維と似ているのでモデルになっていると考えられますね。
トンボ→キジに変えてイメージしているのではないでしょうか。
明石SUC(富士ヨット学生服)
1865年に真田紐類の製造業者として「西屋」明石役造により創業
その後、息子に受け継ぎ「明石歓太郎商店」とし、1934年(昭和9年)頃から学生服の製造を開始しています。
「明石SUC」では、学生服製造の道を生み出し、初代社長・明石歓太郎の息子、長男・稔、次男・登へと社長職を引き継がれています。
初代社長の長男・稔や次男・登が後継者となるところがは、父・雉真千吉、長男・稔、次男・勇と重なっているように感じますね。
雉真千吉のモデルは児島の角南周吉?
日本の学生服の創設者と言われるのが角南周吉氏。
1918年(大正7年)、岡山でも繊維産業が盛んな倉敷市児島地域で「角南洋服裁縫実習所」を開設し、学生服の縫製を開始しました。
その後、地元の繊維企業が次々と学生服を手がけるようになりましたが、児島の学生服は安くて丈夫で機能性が良いと評判になり全国に児島の学生服が知られるようになったようです。
雉真繊維の創業者・雉真千吉のモデルとなっているのが、角南周吉氏ではないでしょうか。
少し、名前も似てますよね。
雉真繊維の野球部はクラレ岡山硬式野球部がモデル?
雉真千吉の次男・雉真勇が、戦後、雉真繊維で野球部を発足します。
モデルとなっているのは、岡山県発祥の「クラレ岡山野球部」ではないでしょうか。
クラレ岡山野球部は、岡山県を代表する繊維企業「クラレ」の社会人野球部。
「クラレ」は、「クラボウ(倉敷紡績株式会社」レーヨンを国産化を目的に創業させた会社のようです。
業務的には、雉真繊維とは違うようですが、野球部に関してはモデルとしているようですね。
まとめ
岡山県が舞台となっている、雉真繊維や創設者・雉真千吉、雉真繊維の野球部について、沖山に実在するモデルがあることがわかりました。
岡山の繊維業が盛んなことも勉強になり、ドラマも益々楽しみになりそうです。





